恋する想いは時を超えて…別れや失恋を詠った百人一首の和歌七選

 恋愛は時代を超えるテーマです。恋する想いは今も昔も同じ。もちろん、別れや失恋、辛い想い、苦しい想いに悶々とすることも。そんな辛い恋愛に悩んで苦しい気持ちを、日本人の美しい和歌に重ねて、ほんのひとときでも美しい心へと昇華させてみるのも悪くないのではないでしょうか。恋する気持ちは美しい!それがたとえ苦しみであっても。募る本気の想いは、千年を超える文学にもなるのですから。

ここでは、百人一首の辛い恋愛を詠った和歌をご紹介します。

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「忘らるる身をば思はず ちかひてし
人の命の惜しくもあるかな」

38 右近『拾遺和歌集』

【意訳】あなたに忘れられる私の身はどうなろうと構わない。ただ、神に永遠の愛を誓ったあなたの命が、誓いを破ったために神罰を受けて失われるのではないかと惜しまれるのです。

【文法】二句切れ
忘らるる身をば思はず ちかひてし
人の命の惜しくもあるかな
・るる→受身「られる」
・ば→(は)係助詞、忘れられる身の強調
・ず→打消「〜ない」
・て→完了
・し→過去「〜した」
・人→「あなた」
・の→「が」
・惜しく→「残念だ」
・も→係助詞、強調
・かな→「ことよ」

 振られた未練を詠った歌。永遠の愛を誓った相手の心変わりに対して「私のことを忘れるのは別にいいけど、あなたが神罰を受けるかと思うと心配」という相手の身を案じています。「惜し」は、「残念だ。捨てがたい。」という意味。それだけ相手を深く愛し、執着しているということ。この歌には恋に破れた「皮肉」を詠ったという解釈もあるようです。

「ちぎりきな かたみに袖をしぼりつつ
末の松山波こさじとは」

42 清原元輔『後拾遺和歌集』

【意訳】約束しましたよね。互いに涙で濡れた袖を絞りながら、末の松山を波が越すことがないように、二人の心も決して変わらないと。

【文法】初句切れ 倒置法
ちぎりきな かたみに袖をしぼりつつ
末の松山波こさじとは
・ちぎり→契、約束
・き→過去「〜した」
・な→終助詞、言い切り、念押し「…ね」
・かたみに→互いに
・じ→打消意志
・は→係助詞、強意

 愛する人に裏切られた知人に代って元輔が詠んだ歌。「末の松山」を波が超えることはないと思われており、男女の永遠の愛を例える歌枕(和歌に詠み込む名所)として使われていました。「一生好きだよ」って言ってたのに…嘘つき…!!と、こんな気持ち筆者の私も持ったことがあります。

「逢ふことの絶えてしなくはなかなかに
人をも身をも恨みざらまし」

44 中納言朝忠『拾遺和歌集』

【意訳】あなたに逢うことが全くなかったら、あなたのつれなさをうらんだり我が身の辛さを嘆いたりすることはなかっただろうに。

【文法】
逢ふことの絶えてしなくはなかなかに
人をも身をも恨みざらまし
・し→副助詞、強意
・なかなかに→かえって
・なくは〜まし→反実仮想。「〜なかったらーしなかっただろうに」

 「こんなに辛い思いをするなら出逢わなければよかった」という気持ちを詠った歌。反実仮想とは、実際にはないこと、非現実のこと。「あなたに逢わなければ…」といいつつも、そんなことは現実ではなく、もう出逢ってしまったのが事実。そう、有り得ないと分かっていても、人はこういう気持ちになるものです。でも、出逢わなければあの時の嬉しい幸せな気持ちも知らなかった。そんな幸せな時間があったからこそ、別れた今がとても苦しい。未練がましい自分も嫌。だけど、幸せも悲しみも知るからこそ、人は強くなれるんです。

「うかりける人を初瀬の山おろしよ
はげしかれとは祈らぬものを」

74 源俊頼朝臣『千載和歌集』

【意訳】辛く当たった人が私に振り向いてくれるように祈ったのに。初瀬の山おろしよ、その風が激しく吹くように、いっそうあの人が辛く当たるようにとは祈らなかったのになぁ。

【文法】
うかりける人を初瀬の山おろしよ
はげしかれとは祈らぬものを
・憂かりける人→「辛く当たった人」
・ものを→接続助詞、「〜のに」
・「初瀬」と「祈ら」は縁語
・「はげしかれ」と「山おろし」は縁語

 「神様に祈ってもかなわなかった恋」を詠った歌。自分につれない人を、山から吹く冷たい風に掛けて、重ね合わされ、冷たく悲しい気持ちが表れています。神様に祈っても叶わないとき、神様を恨みたくもなりますが、それはきっと未来にあなたを幸せにしてくれる人に出逢うまでの過程なんだと信じる方が、自分にとっては幸せかもしれません。今は泣いてもいい。でも、涙を拭ったら、未来は明るいと、嘘に思えたとしても心のどこかで信じるのを忘れないでくださいね。

「思ひわびてさても命はあるものを
憂きに堪へぬはわが涙なりけり」

82 道因法師『千載和歌集』

【意訳】思い悩んで、それでも命はつないでいるのに、恋の辛さに耐えられない涙が溢れ出るのです。

【文法】
思ひわびてさても命はあるものを
憂きに堪へぬは涙なりけり
・さても→それでも
・ものを→〜けれども

 「辛さに身体は耐えられたけれど、心はその辛さに耐えられない」と詠った歌。この歌は、恋だけでなく人生の辛さのことも詠ったものとも言われています。何度か恋を経験すると、それこそ恋の辛さに「こういうもんだ」と頭は分かっていて、なんとか形だけは生きているけれど、心が生きている気がしない。ぽっかり空いた気がして、ふとした時に涙が出てくる。そんな気持ちを、昔の人も感じていたのです。

「嘆けとて月やはものを思はする
かこち顔なるわが涙かな」

86 西行法師『千載和歌集』

【意訳】さあ嘆けと、月が私に物思いをさせるのか。いえ、そうではありません。なのに月のせいにして、こぼれ落ちる涙であるよ。

【文法】
嘆けとて月やはものを思はする
かこち顔なるわが涙かな
・やは→「する」に係る係助詞。反語。自問自答。
・かこち顔なる→「かこつ」は現代にもある「口実にする」という意味。かこつける。そのような顔のこと。

 ごまかしても隠しきれない悲しい思いを詠った歌。月を擬人化し、月が嘆けと言うから泣いているということにしているけど、ほんとうは涙が溢れるのは恋が切ないから。反語による自問自答が、恋の切なさを上手く表しています。「泣いてるの?」「ううん、汗だよ…」って笑ってごまかす現代人にも同じことが言えるのではないでしょうか。いくらごまかしても、もう終わったことだと言い聞かせてみても、自分の本音は自分が知っている。その本当の心が癒やされるまで、泣いたっていいんです。月のせいにしてもいいんだから…。

「見せばやな雄島のあまの袖だにも
濡れにぞ濡れし色はかはらず」

90 殷富門院大輔『千載和歌集』

【意訳】血の涙で色が変わった私の袖をあなたに見せたいものです。雄島の漁夫の袖さえ、潮水で濡れても色は変わらないというのに。

【文法】
見せばやな雄島のあまの袖だにも
濡れにぞ濡れし色はかはらず
・ばや→願望「〜したい」
・あま→海人
・だに→「〜でさえ」
・雄島→歌枕
・濡れにぞ濡れし→強調、「ぞ」は「し」に係る係助詞

 恋の苦悩からの恨みを詠った歌。歌枕には「本歌」といわれる元になった歌があるのですが、「雄島」の本歌が源重之の

『松島や雄島の磯にあさりせしあまの袖こそかくは濡れしか』(松島の雄島の磯で漁をする海人の袖は、私の涙の袖と同じくらい濡れているのです)

という歌。これは、海人の袖と同じくらいに濡れていると詠ったものですが、海人の袖どころではなく、血の涙で濡れていると詠っているところから、本歌よりもさらに強い苦悩を伝えていることが分かります。その人を思う分だけ、苦悩も恨みも大きくなるものかもしれません。

ここまで七つの和歌を紹介してきましたが、最後にもう一つ。きっと共感できるはずです。

「忘れじの行く末まではかたければ
今日を限りの命ともがな」

 54 儀同三司母『新古今和歌集』

【意訳】「いつまでも愛は変わらないよ」というあなたの誓いが将来まで変わらないなんて分からないから、その言葉を聞いた幸せな今日を限りとして死んでしまいたいものです。

【文法】
忘れじの行く末まではかたければ
今日を限りの命ともがな
・忘れじの→「末永く愛は変わらないよ」という愛の常套句
・行く末までは→「将来のことまでは」
・かたければ→難ければ、「難しいので」
・命ともがな→「命であってほしい」

 この歌は、幸せな恋愛の真っ盛りを詠った歌ですが、失恋したあとで見るとほんとにそうだなぁと共感せずにはいられない歌です。「こんな辛い日が来るなら、あの日あの時、幸せなまま死んでしまいたかった」と私もかつて本気で思ったことがありました。死ぬって大げさですが、恋愛は、それが本気であればあるほど、当事者にとっては生死に関わるくらい辛い思いを抱えるものです。「いつまでも」なんて不確かな言葉。人の移ろいやすい心、明日になったら忘れられるかもしれないという不安、それはいつの時代もなくならないのかもしれません。

 どうでしたか?千年も前の人も、現代に生きる私たちと同じ気持ちを持って、悩み苦しんでいたことが分かります。それを知るだけでも、あなたがもし恋愛の悩みの渦中にいるのなら、ひとときでもほっとできるのではないでしょうか。誰の中にも人それぞれに「これ以下はない」くらいの悲しみのどん底にいるように感じられることがあるものです。古人が、その気持ちを和歌にのせて詠ったように、あなたのその気持ちを美しいものに昇華させていくことができたら、何も無駄ではない恋愛だったと言える日が来るのではないかと思います。